アーモンド
 
    (註=「アーモンド」の語はエレミヤ書1章から取っています。ここでは、アーモンド=シャーケード(11節)とショーケード=見張っている(12節) が語呂合わせの形で用いられて、神様の働きの一面が語られています。)

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3・11(2011)と私
 
 2011年3月11日14時46分、「千年に一度」と言われる大地震とそれに伴う大津波が、東北・関東を中心に広い地域を襲いました。
 それから一年経った今年3月11日の新聞によれば、人的被害だけでも東北三県を中心に死者1万5854人、行方不明者3155人(3月10日現在)、避難者34万3935人(2月23日現在)という大きなものになっています。

 この大災害の直後、一人の知事が「これは天罰だ(3月11日)」と言い、
一人の市長は「これは天佑だ(3月12日)」と言って大きな反発を受け、即座に謝罪、発言を撤回するという事がありました。これらの発言は何れも、原子力発電所の事故の詳しい状態が発表される前のもので、思わず口から出てしまったもの(本音?)かもしれません。しかし、このような大惨事を前にして不謹慎で不用意なものだった、とのそしりを免れることは出来ないでしょう。
このような言い方は私たちの社会では良く用いられますが、辞書を開いて見ますと次のような意味が載っています。
「天」の用法 
 1、(一般的な意味で)空。
 2、地球を取り巻く空間。
 3、天地万物の主宰者・造物主・神、大自然の力。
 4、尊び崇めるもの。
 5、天空にある想像上の世界。
「天罰」は
 1、天の下す罰。
 2、自然に来る悪事の報い。
「天佑」については
 1、天の助け(=神助)。

 辞書にはこのように記されていますが、私たちが一般的に「天罰」「天佑」「天災」などと言う時の「天」には、もっと漠然とした意味で、「力ある存在」とか「勧善懲悪の力を持った存在」「信賞必罰を以って報いる方」というようなイメージで用いているように思います。そして何か特別なことが起きると、“因果応報”とか、“前世の因縁”という言い方をします。しかもあまり良い意味には使わないで、悪いことが起きるとこのような言い方をよくするようです。このような考え方を代表しているのが「これは天罰だ」と言った知事の言葉でしょうし、逆の意味で同じ考え方を述べたのが市長の発言でしょう。

 では、私たちは東日本大震災から何を学び、何を聞くべきでしょうか? 
まず覚えておきたいのは、この災害は「自然災害」であって、上述したような意味での天災ではない、ということです。
ルカによる福音書13章1〜5節で、イエス様はこのような災害について次のように語っておられます。
  1〜3節:人災について。
  4〜5節:自然災について。
ここでイエス様は「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と言っておられます。これはこの出来事が“悔い改めへの招き”、即ち神様からの警告であることを教えておられると言えましょう。そしてこれは「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ 1:15)とおっしゃったイエス様の最初の宣教の言葉とも共鳴しています。
  関東大震災(1923年9月1日=死者10万5000人余)の時の東京
の惨状を前にした内村鑑三は「これは(日本人に対する)神の警告である」と言いましたが、これは、「独り子をお与えになるほどこの世を愛された」神様を知るからこそ言えた言葉でしょう。そして、私たちも今回の大震災を前にして、この神様からの警告を聞くべきではないか、と思わされるのです。
 
多くの方が言っておられるように、今回の大震災は私たちに価値観の転換、生き方の変更を否応なく迫る出来事でしたが、これから私たちは自分の生き方をどのように変えていったら良いのでしょうか? イエス様の教えに添って少し考えてみたいと思います。
 まず第一に私たちは自分が神ではないし、神の如くなることもできない事を知るべきです。その時私たちは「創造者(真の神)の前に謙虚に生きる」者となることができます。それは、人間の弱さ、はかなさ、もろさを知った者が持つ(創造者であり全能者である)神への畏れの中で生きることです。そのような生き方は私たちを神様との和解と、神様のみ心を尋ねながら生きる人生へと導くでしょう。
更に神様に対する謙虚な心は、神様がおつくりになった自然が与える恵みに感謝し、自然を大事にする生き方をもたらしてくれるでしょう。
そして、それ以上に「生きる意味」を深く考え、「生命」をいとおしみ大切にする生き方に私たちを導いてくれるでしょう。こうして私たちは今回の大震災を「自己の再生の恵み」とすることが出来るようになります。

 この時、私たちは震災で犠牲になられた方々は「天罰」を受けたのでもなく、誰かのための「天佑・神助」となるために命を落としたのでもなく、「私の悔い改めと新生」のために命を賭して警告となってくださった方々として受け止めることが出来るようになりますし、ここで初めて私たちは、この大震災を通して示されている神様のみ心を知り、この大災害の意味をさらに深く考えて行く緒を見出し、この方々への感謝とともにその死を無にしない決意を持って、あの日から始まった新しい人生を生きてゆく者であることが出来ます。

「私たちのことを忘れないでくださいね」。東日本大震災の被災地で何度も聞いた言葉だ。それがいまの被災者の思いなのだと思う。」
(2012・3・11.朝日新聞・青木康晋)
「私たちの事を忘れないでくださいね」。この言葉は被災者の方たちの言葉であるとともに、犠牲となられた方たちの言葉でもあると思います。
 私たちはこの大震災によって、多くの犠牲になられた方々を記憶にとどめ、被災された方たちを忘れることなく、常に偕に生きてゆく責務を負わされた存在とされたのです。

                            2012・04

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